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下原村(しもはらむら)は、かつて岐阜県益田郡に存在した村である。1955年(昭和30年)に合併で金山町となった後、現在は下呂市の一部である。かつての金山町東部、旧飛騨国の最南端で飛騨川沿いの村である。 == 歴史 == 近代以前 * 縄文時代の遺跡が、下原地域では各所において発見されており、人々の生活があったと考えられる〔金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、53頁〕。 * 870年 (貞観12年) 益田郡が大野郡より分かれて成立する。 * 平安時代 (1000年)頃 益田郡は益田郷〔小坂・萩原の地域〕と秋秀郷〔下呂・竹原・上原・中原・下原の地域〕となる〔「秋秀」郷は秔秀の誤記で「ワサホ」と読み「麻生」郷であるとする説もある。〕〔金山町誌編纂委員会 『金山町誌』 下呂市、1975年、85-90頁〕。 * 室町時代 飛騨国守護京極氏の領地となる。 * 戦国時代 守護代である三木氏の領地となる。 * 1586年 (天正14年) 飛騨高山藩領となる。 * 1600年頃 (慶長年間) 秋秀郷が麻生郷と竹原郷に分割されこの地域は、麻生郷となる。 * 1692年 (元禄5年) 幕府領となる。 * 1700年頃 (元禄年間) 麻生郷が下原郷と改称する。 近代以降 * 1875年(明治8年)下原郷の名称を廃止し、久野川村、夏焼村、蛇之尾村、田口村、門和佐村、門原村、保井戸村、火打村、和佐村、瀬戸村、三ツ渕村、福来村、中津原村、大船渡村、中切村、下原町村、渡村が合併し下原村が成立。 * 1883年(明治16年)分割により、(旧)久野川・夏焼・蛇之尾・田口・門和佐の各村域が上原村、(旧)門原・保井戸・火打・和佐・瀬戸・三ツ渕の各村域が中原村として独立。 * 1955年(昭和30年)武儀郡金山町・菅田町、郡上郡東村と合併し、益田郡金山町が発足。同日下原村廃止。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下原村 (岐阜県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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